戦没者と向き合って

私は自分のおじいちゃんを知りません。

両親が若い頃に父方母方共に他界しており、数枚の写真でしかその存在を

知り得るものはなく、少し寂しい幼少期でした。

ゆえに、戦争の話であったり全国で毎年行われている追悼式なども

あまり身近に感じず過ごしてきた自分にとって、全くと言っていいほど

事前知識ゼロ状態からの作業となりました。

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今回ご依頼いただきましたのは、静岡県護国神社の記念事業の一環、

静岡県の戦没者の遺影を展示パネルとして掲示する、というものでした。

「戦争の記憶、故人のその存在やご遺族の想いを形に残す」という案件、

今まで弊社ではご縁のなかったタイプの仕事で貴重な経験になると思い

プランニングから施工まで緊張感を持ってこの数ヶ月を過ごしてまいりました。

原稿である遺影の扱いに注意しながら、千数百人分のスキャニング・トリミング、

画像のごみや塵の撤去、色調の調整、故人の情報入力・レイアウト配置と

作業を進めていくのですが、やはり今まで「戦争」そのものを知らずに育ってきた

ため不明点が多々あり、日本が辿ってきた道のりである戦争の歴史、

戦没地の場所や情報、昔の旧字や異体字などを調べながらの作業となり、

なかなか思うように進まない・・・

納期に余裕があったとはいえ、原稿校正含めて実質3ヶ月の大工事となりました。

フレーム設置作業は図面通り順調に進み、仕上げの段階。

作業場2階、プリントルームの天井近くまでの大きなパネル、その一部。

フレームとの兼ね合い含めて慎重にパネルを設置、微調整を繰り返す。

完成。

護国神社へご参拝の際はぜひ遺品館へも足を運んでみて下さい。

静岡県では戦争にて7万人以上の方が亡くなられたそうで

遺品や遺書など含めて戦争が遺していったもの、自分よりも若くして

戦争に立ち向かったその多くの存在のことを、どんな映画よりも現実に

感じられると思いますし、何より心を揺さぶられます。

実際、このパネル製作にあたり国語の得意な高校生の姪にも

文字の見直しなどを手伝わせてみましたが自分より少し年上で

国のためにと戦地に散った多くの先輩たちに思いを馳せたのでしょうか、

心を打たれた様子で真剣に手伝ってくれました。


今回、約1600人の戦没者のご遺影と向き合ってまいりましたが、

幾度となく、こみ上げるものを感じながらの貴重な時間となりました。

全くの無知識を恥じながらも調べていくうちに、決して忘れてはいけない

過去、おじいちゃんには聞くことができなかった「戦争」という確かに

あった事実に少しだけ触れた気がしています。


後世に残す、という意味で貴重な仕事に携わることのできた喜びと、

触れる機会さえなかった「戦争」というものについて少しですが

知ることができた貴重な経験、今後への大きな財産として活かさなければ。




株式会社 タックサイン 〜 静岡市清水区の看板屋 〜

昭和30年代、故郷滋賀にて映画看板を描く長男 デザイナーを志し上京、広告デザインに明け暮れた次男 末っ子の将来像はこの頃から形成されていたのかもしれない 「銀幕のスター裕次郎を、俺も描きたい」 その想いから親父の看板稼業がはじまりました